Ecuadoreir→中々実家に戻らない長男の日記→やっと戻った長男の日記、を経て。たぶんこれが最後、NPO法人プエルタ・ハルの日常を自由にたまにまじめに綴る場所です。

2013年10月31日

エクアドルに持ってきた本② 〜ダッセンとの一度目の出会い〜


昨日、
エクアドルに持ってきた本、として
『ダッセン』長岡秀貴著 HID BOOKS発行
をご紹介させていただきました。
http://sai.niiblo.jp/e293992.html

日本全国1億3000万人の中の何名かが期待する
誰も知らない(当たり前)齋藤とダッセンとの出会いの真相。



そう言われたのであれば、男としてもう止まれません。



あなたのために書くしかありません。



という事で、
少々うっとうしい入りですが
齋藤とダッセンとの出会いをご紹介するにあたり、
齋藤と前職との出会い、も含めながら書かせていただきます!



それではどうぞ^^


++++++++++++++++++++++++++++++


初めてこの本を手に取ったのは
今から5年前の2009年2月。
雪がちらつく新潟県上越市にある大学の学生寮でのことだった。


24歳だった齋藤はもうすぐ来る3月に就職を控えていた。
初めての就職先は、フリースクール夢想舎。
不登校やひきこもりを経験した生徒が通うNPOの学校だった。


実はこの職種に詳しかったわけでもない。
知り合いがいたわけでもない。
むしろ知らないこと99%以上。

つまりど素人。



そんな齋藤少年が、
なぜこの職種に携わることが出来たのか。

そして、
なぜこれから就職する「フリースクール」に
関係することが書かれたこの本と出会えたのか。


エクアドルは今、夜だ。
夜の手紙は朝見ると恥ずかしい。

が、調子づいてきた。



長くなりそうだが、進めよう思う。


教員志望であった2008年8月。齋藤少年23歳。
誕生日を迎える数日前に2回目の教員採用試験不合格を知らせる通知が届いた。
誰よりも勉強したと思って望んだ試験。

勉強が足りなかった。


それに尽きると思う。



恐る恐るパソコンの下クリックを
カチカチ押し進めると結果が見えてくる。
手応えがなかったとはいえ、やっぱ心にしみるもんだ。
番号ないと。



次の日、
新潟県内の私立高校全てに電話をかけた。

「こういうものなんですが、採用してくれませんか?」

なんなら願書も送った。

教育に対する初々しい情熱が通じたのか
結果、




全却下。





「世の中そんなに甘くないよ」

そんな言葉を納得するにはもってこいの状況だった。

否定されるってこんな感じか、
と悲劇のヒーローぶった。





研究室の先生とも相談し、
県外の私立学校にも応募願書を出した。
実はいくつかの塾にも出した。




「君が主将の野球部じゃ大層弱かったでしょう」
面接でそんなことも言われた。
確かに有能ではなかったと思う。それは今でも思う。




どこかで聞いた受験者をイライラさせる作戦か、
と思いつつもイライラする。




不合格。



何とも思わなかった。



その時の状況としては、
大学二つ行って卒業間近で就職未定。
なんなら就職活動停止中。




教育大学在籍。
4月から教師になることが決まった仲間や先輩に拍手を送り続けた。

気づくと
もう12月になっていた。








年は明けて2009年1月9日。
上越にいるはずだった齋藤はこの日にたまたま新潟に帰省していた。
理由は忘れた。


するとその夜、親戚から携帯電話に連絡が入る。
電話なんて来ない人だ。


「お前まだ就職決まってないよな(言ってないのに何故か前提w)
話聞いてるだけでいいから、とりあえずあってほしい人がいる」



なんでも、
2ヶ月後の3月から始まる
フリーなんとかという学校の先生が決まってないらしい。

※この時、齋藤はまだフリースクール夢想舎の存在を知らない。
 あとで聞いたこと話だが1月になってすぐにフリースクール夢想舎に勤務する
 予定であった先生が急遽別の仕事に就くことになったらしい。




親戚はこの学校をつくる代表者と知り合いみたいだ。
新しい学校の先生が足りないから捜してるんだ、と理解。



「いつ上越から帰ってくる?急で悪い、明日なんだが」


「実は今たまたま実家にいまして」


学校が建つ場所は新潟県南魚沼市。
だいたいで母親の実家から車で20分ほどのところみたいだ。




予定もなかったので行くことにする。

が、もちろんスーツも皮靴も持ってきてない。




当日は雪が降る中、
ミズノの野球ジャージとクロックスをはいて
待ち合わせ場所に向かった。





状況が状況なだけに特別緊張もせず、
代表者と初対面。


「初めまして。齋藤勇太といいます。ジャージですいません」

親戚が買ってきたお茶菓子を出してくれる。



「・・・・・・」

「あーお前かユウタは。お前うちの学校で働いてみろ」






会って10秒で就職決定。







何か、断れない雰囲気だった。
先生が足りないんじゃなくて、先生が誰もいないとのことだった。




2009年1月10日。
人生で初めて就職が決定した。
当時はまだ言葉も知らない「若年者支援」の
業界の扉に手をかけた瞬間だった。





翌日から
未だに詳しいことがわからないまま、
とりあえず心配してもらってた人たちに
直接、電話、メールで報告した。


「オレ就職決まったっぽいです」

「山の方行くみたいです」

「フリースクールっていう学校らしいです」


これ以上聞かれてもわからない。
自分のことだが、この時は本当に
これくらいしか分からなかった。




大学の野球部同期に報告した時だった。
彼も教師を目指した仲間。
数年前に超難関を突破して今も現職に就いている。

その彼が「フリースクール」という言葉を聞くと
「たしかそういうことしてる人がいたような」と口を開いた。


この職種について、もちろん何も分からない。
なんとなくのイメージはあっても、
同じような学校、団体があるなんてことも分からない。


そんな時に紹介してもらった本が
この『ダッセン』であった。

偶然にもこの本を紹介してくれた彼は、
著者の長岡氏と同じ高校の出身だった。



言うまでもなく、
この時はじめて、こういう業界が日本にあることを知る。



早速アマゾンで注文。
いつものようにすぐ届く。



そして、雪が舞降る2月の上越市。
しっかり梱包された小包をあけて真っ赤な顔をした本と初対面。

『ダッセン』との1度目の出会いであった。



この後、本を読み進めるうちに、
齋藤は不思議な体験をすることになる。








長くなってます。
エクアドルは今ほど12時を回りました。

これ明日の朝見れますでしょうか。^^


もうちょい続きそうなので
続きはまた明日よろしくお願いします!
毎回見ていただいてありがとうございます^^

エクアドルに持ってきた本② 〜ダッセンとの一度目の出会い〜


ぜひ買って、読んでください!という宣伝は明日やらせていただきます!
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3-%E9%95%B7%E5%B2%A1-%E7%A7%80%E8%B2%B4/dp/4861137012/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1383110210&sr=8-1&keywords=%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3


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男の二言でFB始めました!(2回目笑)
https://www.facebook.com/profile.php?id=100006769814614
二言の会
http://sai.niiblo.jp/e290168.html

・おかえり
・男は二言三言当たり前
・男は流れるままに突き進むべし
・(笑)

等あたたかいお言葉ありがとうございます!

気が進まないと思いますが、
以前友達だった方、
見つけたらどうぞよろしくお願いいたします!




Posted by サイトウ ユウタ at 14:30│Comments(0)
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