Ecuadoreir→中々実家に戻らない長男の日記→やっと戻った長男の日記、を経て。たぶんこれが最後、NPO法人プエルタ・ハルの日常を自由にたまにまじめに綴る場所です。

2019年10月05日

ダハハから勝手に感じた、それでも本当のこと。


ある御方が逝去されました。



青少年自立援助センター会長
工藤定次氏です。
http://www.npo-ysc.jp/



齋藤なんざが勝手に書くのはおこがましい限りですが。

それでもほんの少しの少し間接的なことからその活動を知ることができ、
そしてほんの少しの少し直接お話をさせて頂き、
勝手にですが感じたことは
どんでもなくたくさんありました。


10年前。
齋藤の初めての職場は、
フリースクールという民間の学校でした。

諸々の日中活動と宿泊型を通してのサポート体制をしいていて、
不登校やひきこもりを経験した人、
日々に生きづらさを感じる人、
らが通い、泊まり、毎日生活していました。



初めての職場。


毎日毎日わかんなくて(今もだけど)。

一喜一憂して。

ぶんぶん振り回して。

それでも毎回周りに助けられて。




23時の消灯後、
すぐには寝ずに少し時間をおきます。


ちょっとネットでふらふらして、


日誌付けて、


そして本を30分だけ読む。



ノックがあれば対応しますが、
ない日はこれが毎日の習慣でありました。


アマゾンさんは山麓にあった小さな学校にも
本を届けてくれました。



何の本をどう読めばいいか、とか
そもそも自分が今やっていることは何なのか、とか
世間でどういう位置にあるのか、とか


諸々なんも分からない中で、
「ひきこもり」、「不登校」、「本」、、、

なんかを検索して、
訳も分からんまま届いた中古本を



買っては、


読んでは、


自分なりに試しては、


よっしゃと思っては、


これちゃうやんと思っては、




その中で
よく検索にヒットして目にしたのが


工藤定次


タメ塾


タメさん


おーい ひきこもり

らの
ワードでした。


買った後、
何度も読ませて頂きました。


制度云々ができるはるか昔から、
現在からで40年以上まえから困難を感じる人らの
サポートをしている方でした。




初めての職場、を自分なりに務めようとした時に

いくつかあった支えの中で

工藤定次さんが書かれた本は、
齋藤にとって確実にその一つでありました。


世の中にはスゲー変わった人がいるもんだ、と
今思えばとてつもなく浅はかですが、
当時そう思ったことを強烈に覚えています。




今年の9月中旬。
工藤定次氏に初めてお話を伺う機会がありました。

当然、体調は良くなかったのだと思います。


それでも淡々と、悠々と、
豪快さとそれに勝る圧倒的な包容力。
人生で、そう何回も感じたことのなかった
吸い込まれるガチな感じ。



ケタケタ笑って、
それでも鋭い眼で
「人は30歳で大人になればいいんだ」
という言葉。

その言葉で
どれだけの人が救われたか。




「ご飯を食べた話をして、それが冷たいかもって想像できるかできないか」
「専門性なんてクソくらいだよ、ダハハ」
という言葉。

その言葉で
どれだけの人がドキッとしてきたか。


まさしく生きた言葉だ。
生きた言葉とはこういうことを言うんだ、と
強烈に感じました。


工藤氏にとっては
どこの誰かも知らない若造が勝手に感じたことですが、
それでもドキッとさせられた一人として感じた
本当のことでありました。



週明けから10日間。
工藤定次氏が会長でいらした
青少年自立援助センターにて勉強させて頂く機会を
頂きました。


もう一度直接ご挨拶することは出来なかったけど。
肩ひじ張り過ぎず、
自分なりの想いをもって臨ませて頂きます。



ありがとうございました。
よろしくお願いいたします。

ダハハから勝手に感じた、それでも本当のこと。





Posted by サイトウ ユウタ at 20:16│Comments(0)
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