Ecuadoreir→中々実家に戻らない長男の日記→やっと戻った長男の日記、を経て。たぶんこれが最後、NPO法人プエルタ・ハルの日常を自由にたまにまじめに綴る場所です。

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2015年01月08日

ECUADOREIR。


拝啓 みなさま

エクアドル時間2015年1月7日。
今日は、2年間生活したエクアドルでの最後の日。
空港にて飛行機を待つこの時間に
最後のECUADOREIRを書いています。


この2年間。
どんな2年間だったんだろう。

このブログのタイトルは、ECUADOREIR。
Ecuador(エクアドル)とスペイン語のReír(笑う)をあわせた造語。
エクアドルの生活で良いことがあってもそうでないことがあっても笑おうと。

なんて素晴らしくセンスが良くカッコいい題名なんだ。
そんな自分なりの気持ちを込めたものでした。


さてこの2年間笑っていただろうか。


1年目。
全てが上手く行きませんでした。
時に勝手な被害妄想(齋藤の)も入っていたことでしょう。

「エクアドル人は〜」という齋藤の不満は、
「日本人(ユウタ)は〜」というエクアドル人の不満そのものでした。

未熟。

自分の考えを伝えると言うことは、自分の考えを押し付けることではない。
相手を知るために相手を尊重する。
そんな当たり前のことに盲目だったのだと思います。

離れていった人もいます。
戻ってこなかった人もいます。
戻ってきた人もいます。
そして、
ずっと続けていた人もいます。


彼らはみんな野球が好きでした。


人が歩み寄ってくれるとき。
それはこちらから歩み寄ったときに多かったように思います。

ここはエクアドル。
エクアドルをもっと知ろう。
そしてもっともっと謙虚になろう。

それを肌で感じ、自分なりに学んだ一年でした。





2年目。
みんなが1年目に教えてくれたものを胸に刻み臨んだ2014年。
やっぱり上手く行きませんでした。


予定通り、計画通り。

そんな言葉たちは「予定通り」にその通りには進みませんでした。


それでもたくさんの方々に支えられて
予定通り、計画通りに行かなくても
思い通りに行くことも増えてきました。

いやいや思い通りではなく。
エクアドルで出逢った多くの出来事は
常に小物齋藤の想像を超えていたように思います。

とにかく、
日本人の方、エクアドル人、本当に多くの方にお世話になりました。
そしてたくさん学ばせてもらいました。


変化への対応。
前進のみではなくイメージとして
横に広がることも大切であることを痛烈に学んだ一年でした。




今まで知らなかったこととの出逢い。
人、習慣、文化、言葉。

エクアドルだから、生まれ育った日本以外の国だから
より感じたことがあるのかもしれません。


一方で、そもそも人生。

分からないこと、未知なることに挑戦する。
だらける。
ご飯食べる、排泄する。
酒呑む。
喜怒哀楽する。
そういった点では、
場所が違っただけだろ、とも思ったりもします。


だって違いはあってもエクアドル人も人でしたし、
地球で生きていました。





そんなことを言いながらこの2年間、
一番考えていたことは何だろうと考えています。


それは、
エクアドルのことでも
エクアドル人のことでも
エクアドル野球のことでもなく
日本のことであると気づきました。


いや、気づいていたんだと思います。


思えばこの2年間、
日本のことを一番考えていました。


2年前、エクアドルから帰国したらやると決めたこと。
それは変わりませんでした。



日本に帰ります。
エクアドルで過ごしたこの2年間を、
今は分からないけれども、あの時の2年間は良かった。
そう自信を持って言えるように、エクアドル人に恥ずかしくないように
これからの人生を歩んでいこうと、学んでいこうと思います。


エクアドルで泣いて、怒って、落ち込んで、
そして腹から笑ったという自信を胸に。



そろそろ最後にしようと思います。
なぜかというと、コンタクトが乾いたのか目頭が熱くなってきたから。



最後に、
2年間だまって見守ってくれた家族。
仲間。
このブログに足を運んでくださったみなさま。
応援してくださった全てのみなさまに感謝いたします。


ECUADOREIR最終章。
もちろんそれだけやなかったけど、
みなさんのおかげで齋藤勇太はエクアドルで笑うことが出来ました。
全ての人にありがとう。


日本で再会させていただく方、新たに出逢う方。
その時を楽しみにしています。
みなさまの人生にも多くのReír(笑い)が訪れることを心より願っています。

2年間ありがとうございました!


齋藤勇太




  


Posted by サイトウ ユウタ at 13:40Comments(0)

2015年01月05日

エクアドルサッカーの聖地・チョタ渓谷。


キトから更に北へバスで走ること4時間。
チョタ渓谷というところにある集落に行ってきました。
ここはエクアドルでもサッカー選手が多く輩出されていて、
エクアドルサッカーの聖地、ともいわれているとか。


印のあたり。

上に見える太線より向こうはコロンビア。




キトから3時間。
イバラという地域でチョタ方面行きのバスに乗り換え。
切符を売る窓口(一番手前)に人が居なくて少し心配でしたが。
眼を離した隙に、床にバッと赤いもの。
何かの流血事件がありましたが!!




車内はどうやら様子がいつもと違う。
周りを見ると黒い方黒い方黒い方。
チョタ渓谷方面行きのバスに乗車した乗客は
ほとんどが黒人の方でした。




道中。
渓谷と言うだけあって窓から見える景色は迫力満点。
これは今イチイメージと違うけど。
写真あんまとれなかったのが残念。





1時間後。
チョタ渓谷にある街、チョタに到着。





街の横を流れるチョタ川。



街より大きいグラウンド。





おっちゃんらがいたので、
ないと思ったけど博物館とかあるかい、と質問。

「おれらが博物館だ!」



このチョタ渓谷には、
チョタ川沿いに36もの集落が存在しているそうです。
これらの集落は、昔逃亡した黒人奴隷がチョタ渓谷に住み着いて形成されたとのこと。
奴隷船が難破した?
だから黒人の方が多かったようです。

この小さな街からもエクアドル国内リーグで活躍する選手はじめ
エクアドル代表選手が輩出されたとか。

2002年に開催された日韓W杯には
7名ものチョタ渓谷出身の選手が名を連ねたとか。
出過ぎ!w



腹ごしらえのためチョタ唯一の食堂へ。
もちろん客なし。

ただそこのおばちゃんがメチャ親切。
「お前の為にチョタの伝統的な食事をつくるからまってろ!」

チョタのご飯。
豆が初めてだったです。





その後何やら服装から雰囲気が違う青年登場。
話を聞くと、この食堂の家族の親戚で現在キトのリーグでプレーしているとのこと。
カルデロン、17歳以下のエクアドル代表選手。



チョタ渓谷でどの街に行くと面白いか質問。
「Juncal(フンカル)に行くといいぞ!」とカルデロン。
数年後、あの黄色いユニホームに袖を通てピッチを駆回る君を夢見て。



さーいざJuncalへ。


10分後。





この街は先ほどのチョタよりちょっと賑やか。
また、チョタ渓谷の中でも最も多くサッカー選手を輩出している街とのこと。


チョタ川では子どもたちは川遊びし、大人は洗濯。

ずぶ濡れのままグランドで始まるサッカー。
「おい!やるぞ!」

と分け分からんアジア人に声かけてくる少年。


写真なし。
とりあえずエクアドルサッカーの聖地でマジサッカー!!



日本のこの年齢の子とかわからんですが、
5歳位から12歳位までの子らが入り交じり
何となく始まる。


うめえw


パスなし、ドリブルのみ。
全員個人技。



好きな時に来て、
すぐどこか居なくなって、
またすぐ別のヤツが来る。

コーチは居ない。

ありのままに。





20分くらいするとボールの持ち主が母親に呼ばれて帰宅。
遊び道具がなくなって帰る子どもら。
息だだ切れのほっとする齋藤。





「おい、何か遊び道具持ってないか?」
と、ある少年が齋藤に聞いてくる。



エクアドルで何してましたか?
はい、野球です、の齋藤。




この日偶然にもグローブとプラスチックバットを持っておりました。





渡してみると。。。




















よーわからんけど、野球っぽいこと始まりましたわw。
エクアドルサッカーの聖地チョタ渓谷にて、野球。
失礼なかったでしょうか。




初めて訪れたチョタ渓谷。
これまでエクアドルで見てきた中で最も貧しい地域の一つでした。
けれども人々は親切で、みな笑っていました。

帰りの道中。
まだ整理出来ない頭の中でたくさんのことが浮かびは消えていきます。



これで最後。。。




本当に最後。。。。。。




次回の更新が最終章。
ECUADOREIR完結です。






  


Posted by サイトウ ユウタ at 22:32Comments(0)

2015年01月04日

エクアドル最後の1週間。


日本ではもう三が日が終わりそうですが、
みなさま2015年あけましておめでとございます。
今年もよろしくお願いいたします。

2013年1月から始まったエクアドルでの生活。
それも今週が最後の一週間となりました。
齋藤です。


昨年末にチュンチでの野球教室中止が決定し、
只今年始の予定を再調整。


とりあえず、
野球道具が入ったスーツケースを持ち運ぶのが面倒くさくなり、
4日集合の期限を前にこちらでの元日、キトに戻って参りました。



さてこれから何するか。



最近の動きを振り返るとーーーーーー

昨年12月。
感動か激動か。
色々な動があったグアヤキルでの活動終了後に
キトで荷物をまとめて
その後約1週間ポルトビエホへ。

「日厄野球大会 en Portoviejo」
http://sai.niiblo.jp/e459915.html



しかし実は、
ポルトビエホに向かう途中、
キトからポルトビエホまでの9時間の長旅で腰が粉砕することが予想出来たため、
4時間弱で到着するSanto Domingo(サントドミンゴ)に1日だけ途中下車していました。


Santo Domingo(サントドミンゴ)には、
これまで何度もお世話になりました田辺農園さんがあり、
市内から10km程はなれた場所にはコロラド族(サチラ族とも呼ばれる)
という原住民の方の集落があることも知られています。



途中下車の後安宿チェックイン。
そして思いついたこと。



コロラド族とキャッチボール出来っかな?



気づくと齋藤はすでに
サントドミンゴ在住の日本人の方に電話を入れていました。

「コロラド族とキャッチボールしたいんすけど」

多少引き気味な反応の後、せっかくだからねと快諾。
案内してくださる2名の日本人の方とともに
コロラド族さんの集落を訪問させていただくことに。


公道から砂利道へ。
20分程タクシーを走らせ到着したコロラド族が生活する集落。


現在の集落は昔の面影を残しつつも、
その多くが観光用に整備されていました。
国内外からの観光客も多く訪れるようです。


しかし、
この日の訪問者は齋藤と案内してくれた方らをあわせて3名、のみ。
後で知ったのですがこの日は日曜日で定休日だったようです。



引き返すか?と思いつつ足は前へ。


すると、1人の男性がこちらに向かってきました。


コロラド族の方、その人です。



が、やはりこの日は定休日と言うことで、
普段、赤色に染めている髪を染めておらず、
普段、民族衣装を身にまとっているものをチノパンとYシャツ、といった格好。

それでも話をすると快く集落を案内してくださいました。



こんな感じで。




槍投げ。



祭典などでつかう音楽。




コロラド族の少女とキャッチボール遊び。





いただいた写真。
やらかした時の高感度アップ用。





そして。
日本にある野球と言うスポーツで使う道具を持っていると話をすると、
もちろんやるぜ!、と。



動画!
https://www.youtube.com/watch?v=gaWZph_mR4w&feature=youtu.be



そして、
このコロラド族とのキャッチボールが
齋藤の年末年始のスッカラカンな予定を埋める為に
ちょっとしたヒントをくれました。



今考えるエクアドル生活最後の1週間でしたいこと。

エクアドルにいる原住民みんなとキャッチボールするツアーしよう、ではなく、
ある地域の子どもと逢ってみたい、と。


そのある地域の名は、チョタ渓谷。


エクアドル代表サッカー選手が多数輩出されている
エクアドルサッカーの聖地といわれるチョタ川沿いにある地域です。



エクアドルではサッカーではなく野球でお世話になった愚人齋藤ですが、
聖地に失礼ないようここに行こう、と。


次はチョタ渓谷でのお話。
その次が愚ブログECUADOREIR最後の投稿になるかと思います。



三が日明け、みなさまおカラダお大事に。

  


Posted by サイトウ ユウタ at 00:43Comments(1)